ヘッドウェイ復活前夜【インタビュー中編】

ヘッドウェイ40周年特別企画として、ヘッドウェイの最初期の1977年から、アコースティックギター生産を再開する2000年代をよく知る3人のキーパーソンにお話をうかがいました。
全3回の連載。当時の空気感が蘇るような3人へのインタビューをお楽しみください。

インタビュー前編
インタビュー中編(本稿)
インタビュー後編

【プロフィール】
百瀬恭夫(ももせ やすお)・・・ヘッドウェイマスタービルダー。創業時より今まで現役で作り続けるギター職人。2015年長野県卓越技能者知事表彰「信州の名工」として表彰。

吉田栄一(よしだ えいいち)・・・ヘッドウェイファンサイト「Headway Guitar 最高!」管理人。インターネット環境が普及し始めた90年代後半に同サイトを立ち上げる。当時生産を休止していたヘッドウェイアコースティックギターを「復活」させるきっかけとなったユーザー様。

八塚恵(やつづか さとし)・・・ヘッドウェイ創業者。百瀬さんとともにヘッドウェイを興した、現ディバイザー会長。現在は一線を退きヘッドウェイを影で見守っています。

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ヘッドウェイをよく知る御三方へのインタビュー。
二回目は一時生産を休止した時期から1999年に再始動する言わば「ヘッドウェイ第二期」前夜からスタートします。
ヘッドウェイファンサイトが立ち上がり、そこからヘッドウェイが復活するという、なんだか昨今のIT時代を先取りするような展開です。
編集の都合上、前回相槌しか打っていない吉田さんも満を持して登場します(笑)

「昔そういうギターあったね」

-そんな中、昭和ヘッドウェイを手にして吉田さんが動かれたわけですよね。
ヘッドウェイとの出会いはどういった形でしたか?

吉田
私がギターを始めたのは、まだヘッドウェイが創業する前の頃で、最初はアコースティックギターを弾いていましたが、その後、エレキギターに興味が移り、当時のヘッドウェイはリアルタイムでは知りませんでした。
92年だったかな?エリック・クラプトンの「アンプラグド」が発売されたことで、自分もアコギに再度、興味を持ち出していた頃の話ですが、梅田の32番街にある楽器屋さんをブラブラ歩いていました。ショーウィンドウに海外製の高価なギターが並んでいる中、足元に、中古のギターが一本あって、これはなんだろうと思ってとても気になったんです。
それがヘッドウェイのHF-415。もう一目ぼれでした。多くのギターの中でこのギターになにかオーラを感じたという感じです。

-吉田さんは今となっては会長(八塚)や百瀬さんとコミュニケーションをとる間柄ではありますが、ヘッドウェイのギターと出会った当初から、ウェブサイト立ち上げの頃くらいまでのヘッドウェイに対する印象ってどんな感じでしたか?

吉田
ギターは買ったものの、ブランドについての知識はほとんどなく、色々聞きまわったりしたのですが、ほとんど情報が無いんです。楽器だけがあったという状態だったので、どんなメーカーがこのギターを作ったのかがわからないわけですよ。

楽器屋さんの親父さんとかに聞いても、「昔そういうメーカーあったね。いい楽器作ってたなあ」とかそういう話は聞くんだけど、それ以上の情報がない。
でも、楽器自体は他のとは違うわけですよ。見た目もそうだし、音を出しても違う。これはすごいなと。そんな感じが何年かも続いてて。普通、そこまで入れ込まないもんですが、この時はなぜか気になって仕方がなかったですね(笑)

インターネットが無かったら、それでそのままだと思うんだけど。

-サイトを立ち上げられた頃(1999年頃)ってインターネットもそんなに普及してたわけではないのでは?

吉田
あの頃は、ちょうどインターネットが世の中に広まり始めた最初の時期だったから。自分も仕事でITをやっているということもあったので、そこは趣味と実益を兼ねてというか、ヘッドウェイに関する情報を集めたいというのもあってウェブサイトを立ち上げたんですよ。
ただ、最初は勇気が入りましたよ(笑)自分もほとんど実情を知らないブランドのギターを「このギターは最高だ!」と公言してサイトを立ち上げたわけですから。ギターに関する自分の目利きに関してはそれなりに自信というか信念を持っていましたけれども、そんなサイトを運営したら、色々馬鹿にされたりするんじゃないかと、恐る恐る始めた感じでしたね(笑)

でもサイトを始めてみると、全国の多くの方から反響がありました。大手ブランド名を掲げているわけでもなく、どちらかと言うとニッチでコアなファン向けのサイトなわけでしたが、色々な方に情報を頂き、助けても頂いて、見る見るうちに内容が充実してきましたね。それからは逆にいろんなところから質問されることが増えました(笑)
「このシリアルはいつ頃の生産でしょうか」とかね。
百瀬
吉田さんのほうがヘッドウェイのことをよく知ってますね。(笑)

吉田さんが立ち上げたファンサイト「Headway Guitar最高!
吉田
色んな人が投稿してくるときに、「いつ買いました」とか言ってシリアルと共に教えてくれるわけでしょ。そうすると段々どのシリアルがいつ頃の生産か分かってくる。そういう分析もやってみましたね。
八塚
通し番号で作ろうっていうのははじめから決まってたね。

復活のきっかけとなる一枚の手紙

吉田
サイトを運営してて一番印象的だったのは、多くの方が「ありがとう」って言ってくれること。メールくれたりするわけですよ。

要はみんな学生時代とかに、その時は「良い」と思って買っているんだけど、なかなかそれを共有できる友達がいない。7年ほどしか作っていないマイナーなブランドなので。
そんな中インターネットでサイトが出来て、色んなコメントが書き込まれて盛り上がっているのを見て、皆さん「俺の判断は間違ってなかった!」と思う訳ですよ。そういうことを色々メールに書いてくれたりして思いを伝えてもらえるとこちらも随分感動しましたね。サイトの運営って色々大変な事があるのですが、運営を続ける力を随分頂きました。

そんな中、サイトで知り合った友人のつてで「当時、ヘッドウェイを作っていた職人さんは今も何かギターを作ってるらしい」という話を聞きまして。「今のこのサイトの状況ををお伝えしなければ」とお手紙をしたため、松本まで行きました(笑)
八塚
ドラマチックでしょう。こんなハガキが届いてさ。嬉しかったですよ。
しかもそのハガキが来た頃に少し調べたら、HD-115が(当時の新品定価15万円のところ)30万で取引されているのを見て、経営してる俺としては頭来ちゃってさ(笑)「新品を作らないといかんだろう!」と。

そんなカッカしてる中で、百瀬さんにその話したら「いや、やりたくない」「自信がない」とか言っちゃって。こっちはこっちで、また口説くのが大変だよ(笑)

当時よりも良くなっている

吉田
当時は他のメーカーに比べてヘッドウェイの品質がとても良かったわけですよ。周りは大量生産で、作れば売れる時代でしたから、その中で丁寧に作られているものは少なかったんです。

だからその当時のヘッドウェイが良いって言って、サイトを運営していたりしたわけですけど、そこから(1999年に)復活して、今のヘッドウェイを買う人がいると。昔のヘッドウェイを知っている人が何本も今のヘッドウェイを買っていたりしているわけです。それは当時より今のヘッドウェイの魅力度が増してるってことだと思う。

そうじゃなければ、「昔のブランドが復活しました」といって一時の花火の様にパッと盛り上がってすぐに消える訳じゃないですか。
正直、復活して最初のHD-115を目にした時は、新品のヘッドウェイが目の前にあることに感動はしましたが、一方で、果たして昔のクオリティーで復活できているのか、ドキドキしたという気持ちもありましたね。
手に取った瞬間その心配は吹き飛びましたが(笑)
その後も順調に続いているというのは、惹きつける何かがあるということで、それは、「当時よりもっと良くなってるってこと」だと思う。

復活当時のHD-115の雑誌広告
八塚
完成度っていうのはどんどん上がってるよね。
もう弾かなくても良いよね

一同:!?

八塚
弾かなくても良い、触れば音が出る感じなんだよ。

昔は、「このGの音が出ねーんだよ」とか細かくサウンドチェックしてたよな。
百瀬
今はスキャロップブレイシングもやってるけど、当時はノンスキャロップブレイシングだけだったから、余計に音が出しにくかったかもね。
ただそれだけしっかり作ってたから、経年変化を経た今、リペアなんかで戻ってきたのを弾いてみると良く鳴ってるよね。いい感じに。

-当然ノンスキャロップということは強度もあるってことですよね。

八塚
やっぱり頑丈には作ってたよね。今の人は「軽くて」とか「薄くて」とか鳴りやすいものを作りたがるけどさ、この人(百瀬)は頑固だからさ、力木ビチッと作っちゃうしさ、壊すのも大変なギターを作っているよね。

しっかり材を確保してさ、今となっては人工乾燥機も自分たちで管理できるようになったし、平成になってヘッドウェイはやっぱり進化したよね。

-百瀬さん自身の技術が向上したというよりは、百瀬さんの考え方や作り方って言うものが他の職人の方たちに伝わってきたというイメージなんでしょうか。
百瀬さんは今もすぐそばで若い職人の人たちと仕事をしておられますが、そのあたりどう感じていらっしゃいますか?

百瀬
昭和の人に比べて、今の人は「ギターが好きで入ってきた」人なんだよね。

-昔はそうじゃなかったんですね!

百瀬
中には好きな人もいたけども、ほとんどいなかったよね。
八塚
ものづくりの技術はあったかもしれないけど、楽器への愛情は少なかったんじゃないかなぁ。
楽器作りっていうのは情熱みたいなもんがないと良いものができないよね。

ギターで通じる、弾き手と作り手

-好きな人が集まってきてやりやすくなったという感じでしょうかね。
吉田さんに質問ですが、ヘッドウェイブランドの持つイメージっていうのはどんな印象でしたか?

吉田
うーん、ものすごく真面目なイメージ。要は本当に見えないところ(サウンドホールの中など)に鏡当てて見てもササクレ一つ立ってないし、接着剤が出てるようなことも無いし、結局見えないところまできっちり作っているっていうのがね。手間隙かかってなかなかできないことだと思うし。

その後わかったけど、同じ材料でもすぐ楽器にして販売してしまえば、木材の仕入れコストというのはすぐに回収できる訳だけど、材料を置いておくと、寝かせておくだけだからコストが掛かるだけなわけです。経営者としては早く資本を回転させたいわけだから、普通のメーカーは強制乾燥させてなるべく早く楽器に使いたいわけです。そして「良い木材を使っています」とカタログに記載する。

確かにその通りなんだけど、でも、材の値段なんて、ギターの中で大した割合じゃないはずなんですよ。
それよりもきちっと寝かして、動かないようにして、木材として安定した状態で使う。製品になってもずっと安定して音が出ますって方が、実際ユーザーには重要なことなんですよね。

けど、こうして材を充分寝かせるっていうのは、地味な内容なんでカタログにも書いてもあまり受ける話でもない。いわば「見えないコスト」と思うわけです。それって「メーカーの良心」だと思うんだよね。 「ウチは丁寧にやってます」っていうのが、最後製品の形になったギター本体を見ただけでも、そういう良心みたいなものが想像できるんだよね。そういうブランドを信用しないとね。

他のメーカーだって今の技術であれば、やろうと思えばきっちり作れるんですよ。だけど、きっちりやるのは手間が掛かると。だから、どの程度で進めるか、良しとするのかっていうのは、メーカーのポリシーだと思うんだよね。
後々を考えてガッチリ作ってるっていうことだよね。

-百瀬さんにとって「そう思って作っている」ギターがお客様にそっくりその通り伝わっていたってことですよね。

百瀬
やっぱり「それが良いと思って作っている中で、それを感じてくれる人がいるってことが、やっぱり嬉しいよね。

-この吉田さんと百瀬さんのつながりっていうのは、言葉や広告では無くギター本体だけでコミュニケーションが成立しているってことですよね。

吉田
沢山の人に選ばれるギターっていうのは、そういうもの(ギターに込められたブランドのポリシー)が伝わるかってところだよね、広くいろいろな人に。
その意味では僕のホームページみたいなのがちょっとは役に立ってくれているのかな。

ああいう場って感想を書いてたりするじゃない。ヘッドウェイを投稿する人には必ず所有されているご本人のコメントも載せているんだけど。 見ている人も、あれを見て「ああそうなんだ」って思って見てくれると思うんだよね。
口コミみたいなもんで広がっていくみたいだね。

生産効率を上げるということは企業が存続していく上で大切なことですが、生産性を上げながら質も上げるという舵取りは難しいところがあるよね。

-百瀬さんが感じるところの「ブランドの舵取り」は今も渦中という印象でしょうか。

百瀬
若い人たちの時代になって、月のロットは必ず上げようって言って。(きっちり完成させている)だけど、俺の時代はこだわりが多過ぎちゃって、「もう一手間掛けてやろう」「もう一手間掛けてやろう」って月のロットをちゃんとスケジュール通りに回せなかったんだけど(笑)作る人間それぞれの価値観が多少現れますね。今の子は「その月のものはその月に上げよう」っていって休日出勤なんかしたりしながらも必ず上げるよね。

まぁ本来ならね、もうちょっとゆとりを持ってやらせてあげたいんだけどもね。

-ブランドのポリシーというのは常に試されながら進むものなんでしょうかね。

吉田
結局どこで妥協するか、「まぁいっか」とするのかってことだと思います。そこが、常にせめぎあいでなんでしょうね。

愛情持って作らないと。

百瀬
うちも周りのメーカーを見ながら、どこが勝っているのか、どこが負けているのかその辺も見ながら考えていかないと。 だから理想を言えばね、店頭で並べたときに「何かヘッドウェイの製品は違うな」ってオーラがあるような、他とは明らかに違う雰囲気が伝わるような楽器を作りたいよね。
そういうのがやっぱり目標なんだけども。
八塚
楽器がお客さんに話しかけるようなものにしないかんよね。そのためには愛情持って作らないと。
百瀬
そうだね、やっぱりこだわり持って、愛情かけて作っていかないとね。
八塚
あとは歴史だよね。40年という歴史を重ねていく、歴史に残るような楽器をどう作っていくのかってこと。

俺が初めのときに百瀬さんに言った事っていうのがね、「我々はいつか死ぬよ」と。「お墓は出来るかもしれんけど、お墓参りに来てくれるのは子孫だけだよ。
でも楽器というのは、、良い楽器っていうと100年、200年残るかもしれない。それを弾いてもらったら、我々にとっての供養になるんじゃない。そういうものを残してったら良いんじゃない」って。

-それは百瀬さんも覚えてらっしゃいますか。

百瀬
いまだに俺はその言葉を守っているつもりだけれども。
吉田
自分よりも楽器の方が長生きしますものね。
八塚
そうそう。
百瀬
我々は良いものさえ作っておけば、楽器は残って、仕事としては幸せだと思うしね。

--------- 続きます! ---------

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