ヘッドウェイ40周年特別企画として、ヘッドウェイの最初期の1977年から、アコースティックギター生産を再開する2000年代をよく知る3人のキーパーソンにお話をうかがいました。
全3回の連載。当時の空気感が蘇るような3人へのインタビューをお楽しみください。
インタビュー前編(本稿)
インタビュー中編
インタビュー後編
【プロフィール】
百瀬恭夫(ももせ やすお)・・・ヘッドウェイマスタービルダー。創業時より今まで現役で作り続けるギター職人。2015年長野県卓越技能者知事表彰「信州の名工」として表彰。(写真左奥)
吉田栄一(よしだ えいいち)・・・ヘッドウェイファンサイト「Headway Guitar 最高!」管理人。インターネット環境が普及し始めた90年代後半に同サイトを立ち上げる。当時生産を休止していたヘッドウェイアコースティックギターを「復活」させるきっかけとなったユーザー様。(写真中央)
八塚恵(やつづか さとし)・・・ヘッドウェイ創業者。百瀬さんとともにヘッドウェイを興した、現ディバイザー会長。現在は一線を退きヘッドウェイを影で見守っています。(写真右)
それでははじまりはじまり。
タイヤに座って話す、創業当時。
「アリミゾ」と「ネックの後仕込み」というコンセプト
-ヘッドウェイが40周年ということで、ヘッドウェイを古くから知る御三方がそろったこの機会に少し昔の話を、ざっくばらんに聞かせていただければと考えております。
よろしくお願いします。
早速ですが、まずヘッドウェイを一番初め立ち上げた時のお話です。1977年の6月からヘッドウェイ株式会社が創業していますが、当時どんな形でのスタートだったんでしょうか。
- 八塚
- もともと私が別の会社で営業職をしていて「Rider」っていうギターを売ってたんだけど、それのOEM生産をお願いしてたのが林ギターだったんだ。それでもっと良いギターを作りたくて、そこの社長に「これをこうしてくれ」とかいろいろ要望を言うわけだけどなかなか思い通りにいかないわけ。
じゃあ自分でやるか、と。と言っても自分でギター作れないから、当時林ギターで技術関係だった百瀬さんに声かけて一緒にやろうと直接お願いしたわけだ。説得には結構時間かかったけど最後には一緒にやってくれることになって。
松本に工場を借りて、それも倉庫を改装したとこだけど。そこから二人ではじめたと。
-当初会社を立ち上げる際にはどんなことを考えていたんですか?
- 八塚
- 77年に、さぁ始めるぞとなって、普通のギターは嫌だよね。ってお互いに言っていて。何か特徴はないかと考えたときに、百瀬さんが「アリミゾで、ボディとネックを別々に塗装してセットする」って。
「そんな面倒な作りのアコースティックギターないだろ!」って言ったら「いやマーチンがやってる」って話になって、それではじめたんだよ。大変なんだよあれ。
- 百瀬
-
林ギターの頃っていうのはジョイントがダボで止まってて、早く言えばウクレレみたいな感じ。要は面でぺたっと接着しているだけ。そこを「アリミゾにしよう」とね。
あとはネックとボディを別々に塗装してから組む「ネックの後仕込み」っていうのも、当時アコギでは国内のメーカーはどこもやってなかったと思う。
その二つをやったらよそと違ったものができるんじゃないかと思って提案して。だったらやろうじゃないかと。
-アリミゾとかネックの後仕込みっていうのは知識としては頭の中にあったということですか?
- 百瀬
-
知識としてはあったね。ただ実際にやったことは無かった。
年末に完成した3本のギター。
- 八塚
- ただ、既にそれをやったことがあったら、ヘッドウェイでやんなかったかもしんないなぁ。
俺は技術的にはわからないから。ただ「良いものだけほしい」と言っていたけど、この仕様はとにかく手間がすごい。
百瀬さん良いことしか言わないもんで、仕上がりはすごく良いんだけど、その分すごく手間が掛かる仕様だったんだよね。(笑)
春に会社はじめてギターが完成したのその年の年末に3本だけだからね。
- 百瀬
-
いやいや、そうは言ったって会社がはじまって工場はじめてすぐには作れないからね(笑)機械に使う治具作ったり、作業台作ったりね。治工具つくるとか、棚作るとかそんなことをやりながら楽器を作ってたから。それをオレひとりでずっといろんなことをやってたもんだから、最終的に上がったのは年末だったよね。
-はじめの頃は何人くらい社員がいたんですか。
- 百瀬
- 会長(八塚)と、おれと、あと2人だったから4人位かなぁ。その時は机もイスも無くて、工場の隅でタイヤに座って話してたよなぁ。
- 吉田
- 林ギターで作られていた時は月に何本くらい作っていたのですか?
- 百瀬
- 日産20本くらいですかね。
- 吉田
- 林ギターで20本と作っていて、ヘッドウェイ初年が年に3本だったっていうのは印象深いですね(笑)
-2年目はどうだったですか?
- 百瀬
- 次の年はどうだったかな。(ヘッドウェイの工場が火災にあう83年までで)一番多いときで月50本くらいはやって、ピークのときで年間600本くらいは作っていたと思う。
下一桁の4とか9とか42とかの番号は飛ばしてたから、それを省いても通し番号のシリアルで9000ぐらいまでいったかな。
ただそういう資料も全部火災でなくなってしまって。
アリミゾ加工の誤算
-当時百瀬さんの頭のなかにはどうやったらいいギターになるのか明確に頭の中にあって、実際にそれを実行していたというイメージでしょうか。
- 百瀬
- いいギターって言うか、結局オレ自身がギター弾くわけでもないので、作りに関しては、こうやってやればモノとして良いものができるってのはあったよね。そこについては自信はあったんだけども。
ただ誤算だったのは、最終的なネックのセットの部分だな。当時はネックセットはニカワでやってたんだけども。
伝統的なメーカーなんかは今見ると、寸法に余裕があって結構すんなり入るイメージ。だからものによってネックが起きるとかいう問題もあるんだけども。
対して俺が作ったのは寸法的にかなりぴったりにやってるから。
それで一本目のアコギに接着剤を付けてネックセットしようとしたところが、簡単に入るものでもないし、ニカワの逃げもないので、途中で(ニカワが固まって)止まっちゃって、Cクランプでいくら締めてったって入ってかない(苦笑)
他はCクランプでやっているみたいな事も聞くけど、ウチはジャッキ(型の治具)でやってます。
- 八塚
- これ最初っからその仕様でやったから今があるんであって、途中でこれで行こうったってそうはいかないと思う。
途中で変えようと思っても手間がかかってできない。はじめからだからできたんですよ。
今となっては60万するようなギターがあるけど、それでこの方法の元が取れるようなもんで、当時の¥40,000とか¥60,000の価格では元取れないですよ。
- 吉田
- 私が持っている1本が"104"で定価¥40,000だったと思うけど、ギターの中を見たら、当時20万のやつと作りは一緒ですね!
- 百瀬
- 実際そうなんです。材が違うだけで、作りは一緒です。
トップは単板で、サイドバックは単板と合板をラインナップしてて、その差が価格の差でした。高いギターも安いギターも同じ工程で同じ手間隙を掛けて作っていました。
合板にもこだわりがあって、当時他がラワン芯の合板を使っている中、芯材にメイプルを使ってました。そのメイプル芯のオモテとウラの木目が合うようにローズウッドを貼りました。
- 吉田
- 合板って芯材が見えないから、ユーザーには良いもの使ってるかどうかわかんないですよね。
- 八塚
- だからそのへんはこだわってやっていましたね。
今となっては合板の方が手間がかかってしまうようなとこもありますけどね。
職人の目の前で壊したギター
-ヘッドウェイを昭和の時代で区切ったときに、最初期の立ち上げ以降はコンスタントに思ったものが出来上がっていたという感じですか?もしくは段々良くなっていったんでしょうか。
- 百瀬
- 技術的には多少は上がったろうけども。どうだろう。
途中から人が加わって、色んな人が入ってきて、出ていって。技術が下がることは無かったけども思ったほど上がるということは無かったかなぁ。
- 八塚
- 当時入ってきた職人さんっていうのは少し仕事が荒かったんだよな。
みんなもともと木工の職人さんで、しかもみんな百瀬さんより年上だったんだよ!それで百瀬さんもよく話す方じゃないしさ。
「もっと細かくやってくれ」って言ったって聞かないんだよ(苦笑)
でも俺は、とにかく良いものを作りたかった。「これじゃあダメだ!」と、職人の目の前で駄目なギターを壊したこともあったよ(笑)みんな分からないんだよね。
ここのところは新人をとって育てて来た結果が出てきて、品質的にも上がってきているし、そういう意味では昭和のヘッドウェイよりも今の方がギターそのものやギター作りのスタンスというものは良くなっていると思う。
技術が高まってきたというのはやっぱり平成になって新人を入れて、その人達が育ってきた最近の話だと思うね。
百瀬さんの技術や考え方が浸透してきたと。
昭和の時代はそういうつながりは少なかったかな。
こう言っては何だけど(笑)昔は15万20万の値段を付けるのも気が引けるような気持ちが無いわけでは無かったけど、今こうして技術が伝わり、品質が上がっている中で100万を超える価格というのも自信を持って提示できるようになったと思いますね。
第二の百瀬とまで言わないけど、百瀬イズムというものが浸透して来たように思う。今の職人にはなにも言わなくても、「こういう時はこうするべき」という事が伝わって来ている。ブランドとしてそういう時期に入ったと思うね。
---------
続きます!
---------
インタビュー前編(本稿)
インタビュー中編
インタビュー後編
Headway Guitar 最高!
ヘッドウェイギターズウェブサイト
ヘッドウェイ40周年記念サイト